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神戸地方裁判所 昭和44年(わ)1048号 判決

主文

被告人を禁錮六月に処する。

未決勾留日数中右刑期に満つるまでの分を、その刑に算入する。

この裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予する。

理由

(本件犯行に至るまでの事情)

被告人は、韓国京城特別市において、父丁海珍、母田礼畯の次男として出生し、五才ごろまで両親のもとで育てられたが、そのころ当時ソウル大学文学部長をしていた父が社会主義運動をした廉で逮捕投獄されたため、田舎の祖母、伯父の手下に預けられることとなり、そこで生育されて中学校を卒業した。これより先、投獄された父丁海珍は一九五〇年勃発した朝鮮戦争の際、北鮮軍の手によつて救出され、そのころ被告人を残し、妻子を連れて北朝鮮に赴き、今なお平壊市に健在しているのであるが、前記のとおり父が社会主義運動をしたことと北朝鮮にいるということで、被告人をはじめ右丁海珍の親族は、とかくいわれのない差別を受けたり、韓国官憲の監視の的となつていた。ところで被告人は、中学校卒業後の一九六一年四月国立木浦浦洋高等学校に入学し、一九六五年三月同校を卒業して釜山市に赴いたが、両親が北朝鮮にいるとの理由で要注意人物としてまともな就職は不可能であつたため、やむなく撞球場の店員をしたり、流しの歌手などをして糊口をしのぎながら苦労して学資を貯え、一九六八年京城にある私立韓国中央大学に入学し、同大学で「古木会」という演劇のサークルを作つたりなどしたが間もなく同会も当局から解散を強要されたばかりでなく、自らも徴兵を忌避しているなどと中傷されるに至つた。ここにおいて被告人は、韓国にいても将来の見込もないと悟り、いつそ父母のいる政治体制の異る北朝鮮に行こうと決意し、軍隊へはいれば、あるいは北朝鮮との境である最前線所謂三八度線付近に配属を命ぜられることもあるであろうし、そうなれば機会をみて右三八度線を越えて北朝鮮に赴くことも可能であると考え、一九六八年一二月自ら志願して韓国陸軍に入隊したが、軍当局は被告人の右意図を察知したものか、被告人の希望にも拘らず最前線への配属は認められなかつた。そこで被告人は遂に軍隊を脱走して日本へ密航した上、政治亡命の申出をして本邦の庇護を得、そこから北朝鮮に渡航しようと決心し、一九六九年六月二三日ごろ韓国陸軍の外出許可をとりそのまま脱走して先ず京城に赴き、ついで同年七月初めごろ、日本へ密航するための船を探すべく釜山に来て、その機会をうかがつていた。

(罪となるべき事実)

被告人は外国人であるが、有効な旅券または乗員手帳を所持しないで、昭和四四年八月四日二時ごろ、韓国釜山港から韓国船裕栄号に乗船し、同月六日午後一時二五分ごろ、本邦内神戸港に入港し、もつて不法に本邦に入国したものである。

(証拠の標目)〈略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は出入国管理令七〇条一号、三条に該当するので所定刑中禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮六月に処し、刑法二一条により未決勾留日数中、右刑期に満つるまでの分をその刑に算入し、本件犯行の動機等諸般の事情を考慮し同法二五条一項によりこの裁判確定の日から一年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用は刑事訴訟法一八一条一項但書により被告人に負担させないこととする。

(弁護人の主張に対する判断)

第一、(一)弁護人は『被告人は政治犯罪人であるからその本邦の入国に対し刑罰を科することは許されない、即ち現在において「政治犯不引渡の原則」は確立した国際慣習法と認められるところ、右原則の論理的帰結として政治犯罪人に対し不法入国を理由としては刑罰を科し得ないと解すべきである』と主張するので判断するに、所謂「純粋の政治犯罪」とは専ら特定の国の政治的秩序を侵害するする行為、たとえば反逆の企図、革命やクーデターの陰謀、禁止された政治結社の結成等、政治的な意味で犯罪とされ、処罰の対象となるものを指称し、右のような「純粋の政治犯罪」に関係して殺人、放火等の普通犯罪が行われるとき、これを「相対的政治犯罪」というものと解するのが相当である。これを本件についてみるに、被告人が北朝鮮に赴く意図をもつて韓国陸軍を脱走し、さらに同国を密出国したことは前掲証拠によつて明白であり、これらの行為が韓国の軍刑法により、あるいは同国の密航団束法等により処罰されるとしても、これを目して前記意味における政治犯罪とは到底いい難く、さらに被告人が「北朝鮮に赴く意図」のもとに前叙の諸行為に出たことが、同国の反共法、国家保安法等に触れるとしても、被告人は北朝鮮にいる父母に会いたい、その地で居住したいという人間として極めて当然な心情のもとに右行為に出たものであつて、単に右法律により処罰されることが確実であるとの一事をもつて直ちに政治犯罪人と認めることは困難であるというほかはない。そうだとすれば、被告人が政治犯罪人であることを前提とする弁護人の主張は、その余の点について判断するまでもなく失当として排斥を免れない。

(二) 次に弁護人は、「被告人は韓国において思想犯の息子であるというだけの理由で、種々の差別、迫害を受けており、これを免れんがため我が国に政治亡命を求めたものであるところ、亡命者の取扱いについての基本的な国際条約である「亡命者の地位に関する条約」は、その主要な点において従来の国際慣習法を法典化したものであつて、同条約三一条は政治亡命者の不法入国不処罰を規定しているから、右の不法入国不処罰は確立した国際慣習法といい得る。而して我が憲法九八条二項にいう「国際法規」の中には国際慣習法も含まれており、また右憲法の条項は国際法規の国内法上の効力についても規定している旨であるから、我が国が右条約に加入していると否とに拘らず、政治亡命者である被告人に対し刑罰を科し得ない」と主張する。

よつて検討するに、鑑定人宮崎繁樹作成の鑑定書によれば、前記「亡命者の地位に関する条約」はその主要な点において従来の国際慣習法を法典化したものと認められるが、同条約三一条に定める政治亡命者の不法入国不処罰の規定については、これが果して従来の国際慣習法を成文化したものと解すべきか否かについては、現在のところ国際判例、学説の確立を認めることは、先例に乏しいため困難である旨述べており、また、同鑑定書によれば、前記条約に加入していない国家(我が国は加入していない)は条約上の拘束は受けないが、政治亡命者を不法入国の故に処罰するのは好ましくないとも述べているのであつて、これを要するに右鑑定書その他本件全証拠によるも、政治亡命者の不法入国不処罰をもつて確立された国際慣習法と認めることはできないというべきである。従つて爾余の点について検討するまでもなく、弁護人の主張は採用できない。

なお、従前我国においては、人道的立場に立ち前記条約の理念を尊重し且つ出入国管理令との調和を図かり、難民や政治亡命的色彩の強い者(例えばベトナム戦争従軍を忌避し韓国軍隊を脱走して日本に密入国した金東稀)に対しては強制退去を命ずる際には迫害を受けるであろう本国へは送還せず、本人の希望に委す自主、自費出国を勧告し命令する取扱いをして来たことは国会の法務委員会会議録写(昭和三七年八月二四日付、同三九年三月一〇日付、同四一年一〇月一九日付、同四三年四月二六日付)により明らかである。しかし、その際に、不法入国不処罰の原則を採用していると認めうる証拠はない。(所謂平新艇事件は、自首に重きをおき、起訴猶予としたにとどまる。)

第二、弁護人は、「被告人の本件行為は刑法三七条一項に定める緊急避難に該当する。即ち被告人は社会主義者丁海珍の子として生れ、幼少のころから種々の迫害を受けたが、長じて父母の住む北朝鮮へ赴く意図をもつて自ら志願して軍隊へはいつたものの、その意図を見破られたため、却つて軍隊にいては反国家的思想の持主としていつ処罰されるかもしれない状態となつたので、遂に意を決して軍隊を脱走し、我が国を経て北朝鮮へ行こうとしたものであつて、右脱走のときから、被告人は韓国の軍刑法、反共法、国家保安法等により重刑に処せられる危険にさらされることになつたが、これは刑法三七条一項にいう現在の危難に当ることは明白である。さらに緊急避難成立の他の要件である補充性、法益の権衡についても欠けるところはないから、違法性は阻却される」と主張するので判断するに、前掲証拠によれば、被告人が韓国軍隊を脱走する以前において種々のいわれなき差別を受けたことは認められるけれども、これらはいずれも過去のものであつて、「現在」の危難ということはできない。そこで被告人の軍隊脱走後その蒙るおそれのある不利益が刑法三七条一項にいう「現在の危難」に当るかどうか考察することとする。ところで被告人が父母のいる北朝鮮へ赴く意図で韓国陸軍を脱走し、その後我が国へ入国したことは事実摘示のとおりであり、この被告人の行為が韓国の軍刑法、反共法、国家保安法等に触れ重刑を科せられるおそれが生じたことはまことに弁護人主張のとおりである。しかしながら右のような危険は、そもそも被告人が故意に自ら招いたものであるばかりでなく、一般的にいつて、国家の刑罰法令に触れる行為をした者が犯罪者として処罰されることに伴う不利益は、もともと法に服する義務を負う国民として当然受忍すべきものであるから、これを目して直ちに刑法三七条一項にいう「危難」ということはできないものというべきである。尤も適用される刑罰法令が、我が国は勿論のこと広く近代国家において承認されている遡及処罰禁止の原則等の基本原理に反するものと認められるときは、それがたとえ外国の法令であつても、あるいは「危難」に当ると解する余地もあろうかと考えられるのであるが、本件において弁護人の主張する前記法律には、そのような近代法の原理に反する規定は見当らないから、結局被告人が蒙ることあるべき前述の不利益をもつて、緊急避難の要件である「現在の危難」に該当するものとは肯認し難く、従つてその余の点について審究するまでもなく弁護人の主張は採用するに由ないものである。

第三、さらに弁護人は、「被告人は韓国において危険人物とされていたから、本邦に入国するに当り有効な旅券または乗員手張を所持することは期待不可能であつて責任がない」旨主張するのであるが、これは主張自体失当というほかはない。蓋し被告人が韓国において有効な旅券または乗員手帳を入手することは、まさに期待不可能であつたであろうけれども、期待可能性の理論は、右のように有効な旅券または乗員手帳を入手できない場合、被告人が本邦へ密入国すること以外に、他に適法行為をなす期待が不可能であつたかどうかということなのであるから、弁護人主張のように旅券等の入手の期待不可能ということから、直ちに責任なしというのは論理の飛躍である。なお弁護人はそのほかに、被告人が韓国において種々の迫害を受け、父母のいる北朝鮮へ行くためには我が国へ密入国する以外方法がなかつたなどとも主張しているけれども、被告人が当時我が国へ密入国をする以外、他に適法行為に出る期待が全然不可能であつたとは到底認められないから、右主張も亦採用し難い。

よつて主文のとおり判決する。

(矢島好信 横山武男 小野貞夫)

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